「友よ、水になれ~父ブルース・リーの哲学」シャノン・リー著 を読んで

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ブルースリーの哲学者としての本をようやく読了した。2ヶ月以上はかかったか。仕事でへたばっていたのもあるが、それだけではない。実に意味深くて、一字一句文字を見ては噛み砕く。そして本日、

読了前の数頁、ボロボロに涙が出て、止まらなかった。

決してそれは悲劇でも感激でもない。友よ、水になれ。まさにブルースの考えが、流れ込んできた。初めてスクリーンで遭遇した中学一年から長い月日の中、自分は何を求めて彷徨ってきたのだろう。確かに言えるのは、好きになり追いかけてきた、ジャズも文学も空手もマーケティングも広告も、理想の不確かな到達しようにもそこから分け隔てる、溝、を埋めるための手段だった。

なぜブルースリーは、自分の身の回り、心の奥底にありつづけたのか?

書物でもなく、映画だけでもない、いつもいた。世界中の人は、格闘技ファンだけでなく、なぜ、ブルースリーを見て、知るのか。ようやくわかってきた。

わかるというよりは、沁みてきた、というのが近いだろう。なんて膨大なのか、ブルースリーは。

残されたすべての肖像が、一つ一つが胸の中になだれ込んでくる。そして、ティーポットに、ティーカップに。友よ、水になろう。

「友よ、 水になれ——父ブルース・リーの哲学」シャノン・リー著を
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